いきなり国宝。美しいー!!
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最初から埼玉子と佐藤、この仏像でテンション上がりまくる。

「見てあの仏像、すごい!!」
「えっ、平安寺時代!?  ひぇぇぇぇぇぇ!」
「うわああ、すごいこの布の質感! あっ、細工がありえないくらい細かい!」

オタク同士で行くと、遠慮なく盛り上がれる。
もちろん大人らしく、騒がず静かにヒソヒソと盛り上がったのだが。

仏像できゃっきゃする女子二人。

1713年(正徳3年)、明珍宗察作の龍の自在置物。確認されている中では最古の自在置物
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素晴らしい。伊勢海老とか鷲とかあったが、どれもこれも素晴らしかった。

いま流行りの日本刀も見てきた。

佐藤と埼玉子が撮ったそれぞれの趣きのある写真をお楽しみください。
柔らかい光の写真のほうが埼玉子。


太刀国宝 三日月宗近
銘 三条
 平安時代・10~12世紀

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宗近は、平安時代後期の京三条に住したと伝える、反りがある鎬造の刀剣の形式が完成した頃の刀工。太刀の姿は腰から茎(なかご)にかけて強く反り、先はほとんど反りのない古い形式を示す。刃文に三日月がみえることから三日月宗近と称され、天下五剣の一つとされた。徳川将軍家伝来



二字国俊
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ニ字国俊○



尻懸則長
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尻懸則長○



重要文化財 太刀 長船光忠
銘 光忠
 鎌倉時代

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長船光忠○



太刀 長船兼光 福島兼光
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太刀 長船兼光 福島兼光○



重要美術品 短刀 越中則重
銘 則重
 鎌倉時代・14世紀

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越中則重

則重は越中国の鍛冶で、現在は相州鍛冶である新藤五国光の弟子と考えるのが一般的である。その作風は他の相州鍛冶と同様に、硬軟の鉄を鍛え、沸(にえ)の動きを強調した刃紋を焼くが、地鉄は一段と肌立ち、沸がよくついた乱刃(みだれば)を焼くなど、より激しいものとなる




国宝 刀 相州貞宗(名物 亀甲貞宗)
無銘 貞宗
 鎌倉~南北朝時代・14世紀

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国宝 相州貞宗(亀甲貞宗)○

相州鍛冶、彦四郎貞宗は五郎入道正宗の実子とも養子とも伝えられる。鎌倉様式の太刀を磨(す)り上げた姿で、号は茎(なかご)の指裏(さしうら)に菊花亀甲文が彫られていることによる。よく釣(つ)んだ地鉄に、小湾(このた)れを基調とした乱刃で、師正宗と見紛うほどの作風を示している




太刀 金房政長
銘 大和国住藤原政長 作
 永正三年十一月日
  室町時代・永正3年(1506)

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金房政長○

金房派は室町時代後期の大和国で栄えた一派で、これは同派のなかでも最初期の作品である。16世紀になると打刀が主流になるが、これは太刀銘を切っていて珍しい。刀身に「大織冠神宝(たいしょくかんしんぽう)」の文字が彫られている通り、藤原鎌足を祀る談山神社(だんざんじんじゃ)に長く伝来したものである。



刀 関兼定
銘 濃州関住兼定 作
  新當流能化木内政清主
    室町時代・15世紀

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関兼定○

室町時代の美濃鍛冶の中でとくに著名な刀工は兼元と兼定である。兼元は孫六兼元が有名で、兼定は貞の宀の下を之ときるため之定と称される和泉守兼定が名高い。この刀は之定ときるようになる前の初期の作品で、直刃(すぐは)の作風で地鉄がよい



刀 堀川国広
銘 国広
 安土桃山時代・17世紀

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堀川国広○


堀川国広はもと日向国伊東家の家臣で、天正5年(1577)同家没落後は山伏となって鍛刀したといわれる。慶長4年(1599)以降は京一条堀川に定住して大隅掾(おおすみ のじょう)正弘や出羽大掾国路(だいじょうくにみち)など多くの門弟を育て、堀川物と呼ばれる特色ある作風を樹立した



重要美術品 津田助広
銘 津田越前守助広
 延宝五年八月日
  江戸時代・延宝5年(1677)

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津田助広○

津田越前守助広は、初代助広に学び、二代目を継いで寛文7年(1667)大阪城青山因幡守宗俊に召し抱えられたと伝える。小板目のよく釣んだ地鉄に、寄せては返す波をかたどった涛爛刃(どうらんば)を創始して、当時大いに人気を博し、のちの大阪鍛冶に大きな影響を与えた。



一回並ぶ毎に、一回しか撮影できないので、もう一回並んで横からの撮影。

三日月宗近を横から
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どれもこれも美しかったけど、やはり三日月宗近は素晴らしかったです。不思議な刀だった。特に横から見た感じが。

倶利伽羅龍図小柄
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テンションが高いまま、大人しく盛り上がる埼玉子と佐藤。



それにしても……この記事を書くことに疲れたよパトラッシュ……。

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